ねが×ぽ!! 〜Tiny Notes〜 記述式マテリアル

東大にいるのにも関わらず学業投げっぱなしのシナリオライターのタイニーノーツ。/自画像(偽)→

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かさだんご

Author:かさだんご
仮面東大生です。または
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今はニートです :)
プロフィール。趣味とか。

受験生時代の記事がお目当ての方は2008年〜2009年3月を参照ですよ。



まとまと

Supporter:まとまと
東大生というわけではない。
このブログは華が無いのでイラスト担当にとやってもらっていた。
しかし、修行の旅に出たのか、しばらく音沙汰がないけど、きっと帰ってくるよね……!

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かさだんご┃創作関係 + 2009 / 11/16 [22:40]

- 常に回帰する迷い路のフラクタル -
おはこんばん、かさだんごです。

世の中には、どうにもならないことってありますよね。

大きな大きな、不条理のことだけを言ってるわけじゃなくて。
誰かが頑として言う事をきいてくれないとか。
引っ越しで友人と離れなくちゃいけないとか。

いくら嘆いたってどうにもならないなら、
目を閉じて、何事もなかったことにして、忘れる。

……いつから、そういう生き方をするようになったのか

一方で、抵抗しろって叫ぶ自分も居る。
その声を聞いた時、ふつりと力が沸くような気がするけど、
それは無理だと嘲笑う声にかき消されて、聞こえなくなる。

戦わなくちゃ、現実と?

戦わなくていい。そんなの。

そうして生きていった先に残るのは運命だけで、
自分の意思がどこにもなくなっちゃうって?

そこにあるのは変数が1つだけしか取り除かれない世界で、
変数が1つも取り除かれない世界とどれだけの違いがあるというのか。

あとから見えるのは結果として残った世界だけ。
ただひとつ、そこに紡がれた世界があるだけ。

選択を何一つしなかったということを悔いるのか?
そうは思わない。
その先に見えるのは、運命論を受け入れた自分の姿だ。

予定調和の完成。
それは素晴らしいこと? 誰にとって?
そんなものは今ここから未来にしか見えないもの。
全てが終わった先で、そんなことは考えない。

このような一連の思考の底にあるのは何か。

世界はなるようになる、という考え方。
運命論、というよりは、因果律。原因と結果。
Aを選べばA’の未来、Bを選べばB’の未来。
ゆえにA’の彼にはAという過去しかない。
いつの間にか選択の過去は消え、ただ無遠慮に連なった過去だけが残る。

……だが、それだけで。
この迷い路のフラクタルは完成するのだろうか?

もし、思考がこれだけによってもたらされるなら。
そもそも迷う必要はなく。
どこへ回帰することもなく、一本の糸が残るはずなのだから。

だが、もう思考は閉じようとしている。
いずれこの迷い路も消える。
それは発展的解消、というのとは真逆の終わり方だろうけど。

f(t) = e^(-t) * sin(t)
t→∞でf(t)→0に収束する、この関数のように。

理に適わないことに不条理を唱えて叫んだ数年前から。
抗うことと忘れることの葛藤にある今。
そして何も感じなくなる未来へと。
収束していく。
それは大人になること?
かつての表現を借りれば。
新たな定義を持ち出そうとしないなら、きっと、そう。

……でも。
この関数の逆数は、自己抵抗係数として定義される。
t→∞で1/f(t)→∞に発散する、この係数は。
物語に触れるとき、どれほど腹をえぐられるかを示している。

諦めることを知らない少年は。
ヒロインを助け、僕を殺す。

けれど、読むことをやめられないのは……
それが願いだからだろうか?

それは自己崩壊に至る死の病。
秩序の終焉を望む狂信者の背中。

選択をして、抵抗をして、自らの望む世界を得ようとする努力のできない自分と、そんな努力は必要ないと考える自分との葛藤。
かつて回帰する日々幕と呼んで、幾度となく体験したこの状況。
去年の夏のある日、超えようとした振幅|e^(-t)|という壁。


全てを閉ざす時か。
――初めて壁を超える、二度とないチャンスか?

自分を殺すことへのアンチテーゼとして自分を殺す。
意思を閉ざすのか。
殻を撃ち破るのか。

去年の夏のある日、こうも主張していた気がする。
自らが望んでいることを叶えてあげることは、すなわちアンビヴァレンスの解消に帰結する。
Aしたい。だがAしたくない。
どうするかを選ぶのが選択。
ならばたしかに、これはアンビヴァレンス。

そう考えると、意識的な選択というのは、常に自分にとって好都合なものであり、常に自分にとって都合の悪いものなのだな。
選択を意識した時点で、どちらでも有り得るもの。
ならば、意識された(=悩む)選択ほどどちらでもよいということだろうか?

ふむ……。
答えは出たようだけど、受け入れたくないのもまた、この迷い路にいるということなのだろうな。
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かさだんご┃創作関係 + 2009 / 11/14 [23:56]

- グリオットの眠り姫(霜月はるか)/発散する創作 -
おはこんばんちは、かさだんごです。

いきなり閑話休題

グリオットの眠り姫 特装版グリオットの眠り姫 特装版
(2009/10/14)
霜月はるか

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某電気街に行ったら、すっかり忘れていたのにもかかわらずタイミングよく特装版が出ていたので買えた一品。

お気に入りは「氷る世界」。



なんだか今日一日を無駄に過ごした気がするよ(´・ω・`)
朝起きて、見切り発車で小説を書こうとして、書けなくて、寝て、起きて、見切り(×5)
なんて退廃的な一日なんだろう。

でもセブンイレブンにいって未払いのネット代を払ってきたら、即日ネットが再開された点については褒めてやらねばならない。(←未払いをほっとくと契約解除されるという記事を見かけてせっつかれただけ)

こうして一人で部屋にこもっていると、空間的にも意識位相的にも現実社会から隔絶されて、自分が(比喩的な意味で)どこにいるのかわからなくなってくる。アイデンティティー・クライシス、ってやつですね。辛うじて自分が大学生であるということが、毎週月曜日の朝には自分を外の世界へと連れ出して、宿題してないとかその他もろもろのヤバさに気づかされるわけですが。

こうした体験を通じた思念なんかをもとに小説を書こうとするのだけど、これがなかなか物語的構造を持ってくれなくって、漠然としたフラグメントの無意味な集合になってしまう。しばらく書いていないうちに書き方を忘れてしまったのかとそのへんに投げ置かれているラノベを手に取ってみるけれど、つまらなさすぎて3行で挫折、SF小説はどうかと読んでみると、これがなかなかいけると思いきや、数ページで何か書きたくてうずうずしてしまって続かない。

そこでちょうど去年、この時期にどこぞへ送りつけて初投稿にもかかわらずそれなりの成績で返ってきてくださった某作品(エチレン)を印刷し(A4裏表印刷で80枚↑ってどんだけあるのよΣ)、読んでみると、面白い部分はやっぱり面白いと感じるのだけれど、(比喩的に)目をつぶって読んであげないと枕に顔をうずめてじたばたするのに類似した症状が出てしまってしょうがない。

しかし当時、不満は残りつつも完成したと満足していた作品だけあって、物語的構造が意識された書かれ方になっていて、ああ、自分はこんな書き方をしていたんだな、ということを思い出すことができた。(前述の症状によって実は半分くらい読み飛ばしたが。)

まあ、それを思い出したからといって、書けるかと言ったら書けないんですが。もう書こうとするものが、この一年がサッパリ変わってしまいました。一年前は萌えこそ正義とは言いませんが自分の思い描いた妄想を紙の上に具現化することが至上命題で、ある意味、すでに存在する答えをどう表現するか、という問題でした。が、今は存在しない解をどう追い求めていくか、ということが問題になっている。そもそもそのこと自体が難しいのに……見えていないものを書けようか?

現実世界で言えば、ミクロの世界をシュレーディンガー方程式で記述することはできるし、マクロの世界は近似の運動方程式で記述することはできるだろうけど……僕の求めているのは、そういう世界じゃなくて。人の認識にとっての世界。意識の至る世界。これを書きたい。だけど、これがどう表現されるのかがわからない。どの言葉を選んで表現するのかという問題じゃなくって、これを表現する言葉そのものがまだ、無い。

物語自身もまた、人の認識にとっての世界、意識の至る世界、そのものだと思う。幾分かのメガバイト容量に収束させられた世界自身。ベクトル空間の部分空間はうまくとればまたベクトル空間となるが、それは親であるベクトル空間とは必ずしも同一ではないように――同じ世界ではないけれど。

人類が滅びる時は、
「物語が語られなくなったとき」に違いない。


中二病になりつつフラグメントをまたかき集めるけれど、やっぱり、まだ収束してくれないのだった。


最初に書いた小説(正確には二番目だけど)、まあこのブログのタイトルにもなっている、「ねが×ぽ!!」というものがある。それはドッペルゲンガーを扱っていて(正確には(笑)ドッペルじゃないのだが)、たしかエチレンを書きあげたときも「これはある意味ドッペル第二弾だな」と思った記憶がある。実はこれはそういう記憶があるだけで、先ほど読み返したときはどのへんにドッペルな要素があったのかさっぱりわからなかったのだけれども……。

とにもかくにも、かさだんごという人は、ドッペル――自己複製、が好きなようである。自分と全く同じ存在。アイデンティティーという問題にかかわるからだろうか、他の理由からか、わからないが、とにかく好きなようである。

なので、とりあえず、ドッペルゲンガーにかかわる話を書いてみたらいかが?と提案してみると、もとよりそのつもりだったが、もともとの案はてんで収束しないので、大きくいじくって、ドッペルの部分にもっと焦点をあてた話にしてみるか、との回答があった。

いくら自分を客観的に見ても、考えが離散しすぎてそろそろ自己崩壊に至りそうな気配なので、いい加減、何か書いてみろ、と……そういうわけでの見切り発車だったのだけれど、余計に迷走してしまっていたようだったが……

これでひとつ、収束してくれると嬉しいんだけどなあ。
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かさだんご┃創作関係 + 2009 / 07/19 [20:20]

- 七穂元美さん(声優)について -
七穂元美さん(声優)すごいです!



……おはこんばん、かさだんごです。
はじめは最初の一行、本当に↑の一行だけの記事だったんですが……。

や、それでもググってくれればいいなぁ程度に思っていたんですが、ちょいちょいブログを読んでみると本当にすごいということがわかってきたので、こうして記事にしてみるのです。
(ちなみにカテゴリは一応創作関係です)

はじめは声を聞いて、(かさだの感性的に)ああ、いいな、とか、上手いな、とか思っただけでした。

しかし、ブログを読んで改めてすごいと思った。
尊敬するというか。
そういうすごいなんですけど。

七穂元美さんブログ:げんき☆の花を咲かせたい


記事その1

>出来るだけ、正直な気持ちを書いていきたいです。落ち込んでもネガティブになりすぎず、嘘のポジティブは書かず、でも明るく。

ブログの記事第一号。
細かい感想は省略するけど
素敵な心がけだなぁと思いました。


記事その2

>内容のおもしろさ、素晴らしさもさることながら、改めて、「本当に人を楽しませる」力に触れたように思います。

>こんな風に、世界を作れる役者でありたいです。

細かい感想はやっぱり省略するけど
内に秘めた向上心をひしひしと感じます。
「世界を作る」ってとこも注目。
何か一つの自分がかかわる要素だけを出さないで、「全体」に目が向いてるんだよね。しかも「世界を作る」っていう懐の広い言葉を使ってて、かっこいー……。

記事その3

>花を差し出すような芝居が出来るようになりたい…

細かい感想は(ry
これはこの一文だけじゃ意味が通らないので記事読んでほしいんだけど
かっこいいなー!

拈華微笑

そのエピソードにまつわる話は置いておくとして
とても期待できる声優さんだと思う

記事その4

これは……あー……
別にすごいなぁと思ったとかそういうんじゃないんですが

かなり興味がわいたのはこの一節

>肌寒くなってくると
>毎年とても不思議な感慨があります
(ちょい中略)
>中学生の時の演劇コンクール前と文化祭前の稽古で帰りが遅くなった時の冷たい空気の匂いみたいなものが何より思い出されるのです

かさだもあります。内容がアレなのでちょっと恥ずかしいですが

かさだの場合は「暗くなるのが早くなった頃から冬の終わりまで」なんですけど。

かさだは中学の頃RED STONEというネットゲームを始めたのですが、
ある冬の頃、学校から帰って来ては、riyaのCDの「LOVE SONG」を聞きながら5時代から暗くなっていく室内でそれをプレイしてたんです。(電気を点けなかったのは、6時頃に帰ってくる親にバレないようにするため、という恥ずかしい理由があります^^;)

冬になったり、あるいはLOVE SONGを聞くと、そんな日々(ネトゲそのものには限らず、その頃の日々全体)を思い出してしまいます。

……まぁ、肝心なのは具体的な事例じゃなくって。
そりゃ具体的なそういう感慨がなければ、
こんなにも興味を持つことは無いんですけど……

その具体的な形象(心の中に生じるイメージby辞書)や感慨はさておいて、「何らかの要因(季節やCD等)によってある特定の記憶を呼び覚まされる」という事象。

さっきこうありましたね?

>冷たい空気の匂いみたいなもの

かさだもそうです。
視覚ではなく、匂いのような細かい情報(人間の使用する情報の8割は視覚ですからね)至るまで思い出してしまうんです。

これってどういうことなんでしょうね。
というのは、つまり、人体とか脳の神秘についての話だと思ってくれればいいんですけど、なぜそこまでそのような記憶が蘇るのか、ってこと。

大切だから?
少なくとも生存には重要ではないし。
印象的だから?
それは必ずしもそうでないと思われる。

不思議なんだよなぁ。
せっかく東大に入ったんだし、それを活用してこういうことを調べたいなぁって思ってるんだけど、難しいんですよねぇ……。どこにあたったらいいのかまるで見当もつかないし。
哲学のほうかな?脳科学のほうかな?
脳科学のほうがいいと思うんだけど、肝心なところへの回答が得られない気もして、哲学のほうがいいかなとも思うんだけど、わけのわからない論理を並べられても困るし。


興味がわいたのはもう一節。

>13歳だった私は、どうすればいいのかずっとずっと考え、実は今も考えています
>当時の結論で行動してみて痛い目をたくさん見たのですが、今考えても私は他の結論には辿りつけない
>と同時に、大人になるとその気持ちだけに従っては行動しきれない

>ある意味、私のアイデンティティの核でもあるのかもしれません

やっぱりかさだの思ってることと似ています。
(まぁ多分同じ。)

こっちはすぐに考えを出せそうにないので
あとあとのんびりとお茶でも飲みながら考えることにしますけど、

「自分の中で長いこと解答の得られない問題」
そのもの、及びそれにまつわること

っていうのはすごく「重要」だと思う。
この重要ってのは適切な言葉がどうも思いつかなかったので適当にあてたのだけど……創作として重要なのか、いつも考えている生き方みたいなものに関して重要なのか、わからないけど……うん、とにかく、お茶を飲みながら考えよう。

で、このときの演劇「人形館」

絶対見よう!と思った!
児童向けだなんて、そんなの嘘だよね
大人ですら回答のつかないものなら、そんな詭弁は捨てるべき

これってどういうことなのか議論(まったり喋る程度でいいんだけれども)できるような友達が欲しいけど、まぁいないだろうなぁ……(笑)
いまどき、なのかどうかは知らないけど、こんなへんてこりんなことに興味を持っちゃったりして、考えちゃったりして、そんな人、めったにいないだろうなぁ……。

興味がわいてちょっと考えてみたよ的な人がいたら嬉しいんだけど。

学歴なんてどうでもいいからさ……こういうとき東大であることを明かしてるとアダになるのかw
かさだはとても変人でフランクに話せる人だよ、ってのはこのブログを通してわかってることと思うので……大丈夫、かな?w

興味は学歴を超えるってつくづく思うよ。
誰かいないかな!

(昨今の政治状況を茶飲み話で喋れる人がいたときは嬉しかった……!)

さて、そろそろ次にいこう……。

記事その4

>花嫁さんのいわゆるブーケトスをゲットしてしまいました!
>わーい!!

>ど、どうしよ?
>何があるかどきどきなのです!

可愛いなおいw

いや、それだけです、すんません……。

記事その5

これはまたすごいっていうんじゃないんだけど。
素材って言っちゃうとアレだけどこんないい考える素材があるとは思わなかった。というと間違いだろうかなぁ?自分だけが何かヘンテコなことを考えて別世界にいっちゃってるんじゃないってことがわかった、ってのが正しいんだろうか。

まぁ、どっちも、だと思う。
どっちもホントに強く感じたこと。

那須水害についての話。
かさだは全然知らなかったんだけどね……
時間もおしてるので残念ながらこの水害そのものに関する話題は今回は省きたいんだけれども。

>人のいい所も悪い所もよく見えた。

思うところがあるんだけど、うまく言葉にできないな……。

ただ、この一言で、……ううん、この「記事中にあるこの一言」によって、人のいくつもの側面が一瞬で語られていると思う。含まれているものというか、その向こうに広がっているものというかが、ものすごく深くて大きいです。

>家に帰ると、ニュースではちょっとしか報道されてない。何事もなかったようにバラエティ番組ではバカなことを言って笑っている。実際彼等には何事もなかったのだけれど。

>世界から切り捨てられたみたいに感じた。

思わず、事実は小説よりも奇なり、という言葉を思い出してしまうけど……どこかの小説にあってもおかしくないような表現。現実的な感情を小説っぽく(叙述的にっていうのかな……抒情的にっていうのかな……調べる時間もないのでこれで勘弁してください)表してる。

ただ、これ、すごく不思議な表現で。
これ、っていうか、このような表現、ってことなんだけど。

「世界から切り捨てられたみたいな感じ」
って言われて想像できるよね。
きっと。

……でもさ、それをリアルに感じては、多分、ない。
おそらく筆者の伝えようとしていることと、読者の受け取ったことが、噛み合ってない、と思う。

意味はわかってるんだよ。想像できるの。
だけど、その「気持ち」そのものは……
伝わってない、と思う。

(一度感じたことがある人には伝わるだろうけどね)

これ、どうしたら伝わるのかなって
かさだの中の未解決問題。

>世の中には毎日毎秒いろんなことがあるので、みんなが全てに心を痛めたり関心を持ってはいられない。
>自分だってそう。

>でも、それはつまりこういうことなんだ、とショックだった。

これは↑に類似。

>よいことも悪いことも、変わるものも変わらないものも、自分の目に見えることだけではない。それを忘れずにいたいです。

これについてコメントし始めたら朝になってしまうのでやめておきますけど……。
一言だけ。

このことを知っていると、何が変わるんだろう?

高校の頃かな、このことを知って、漠然と「知っている方がいい」と思って、覚えていたけど……。

知っていて、何の意味があるのかな。

かさだにはわからなかったりする。
でも、このことの持つ形象が……
あまりにも深くて。
あまりにもかさだをとらえて離さなくて。


次いこ。

記事その6

>頭痛が痛いー

megrockの頭痛が痛い

名曲や!

ちなみに

某ペディアの記事

のとある患者の話は後ろに後退する自動床の上で走っているような気分にさせられる気がした。

記事その7

すでにすごいが関係ないことはともかくだ!

>なぜか天使が続いていたのですよね。(諸事情により作品名公表出来ないのですが)

こういう書き方ってファンだったらすごくじれったいよね。

っていうどうでもいー話(爆

記事その8

久々のすごいですよこれ

注意できる人ってやっぱりかっこいいなぁ……!!

かっこよすぎる!

かさだは事なかれ主義者で事なかれ党があったら間違いなく党首になるような器の人間なので、知り合い相手ですら口出さないこともよくあるんですけど……。

たまに勇気出して目の前で困っている人を助けよう!って決意して、するだけじゃなくて、実行にまで持って行けるときはあるけど、注意なんて到底できない〜〜……。

むしろされるほうなのか。
ダメじゃん……。

>おばあちゃん

よく、かどうかは知らないけど、いるよね……こういうお方。こういうガンガン前に出て注意したり意見いったりする人っておじさんおばさんクラスに多い気がするんだけど気のせいかなぁ?若者でこういう人ってあんまり見たことないような。(席を譲れる気概のある人なら見るけどね!)

気付いたら今度はやる番。
だけどできるかなぁ……

単純に事なかれっていうんじゃなくて、内気上がり症人見知りの部類から来るそれなので、克服するにはまず日常会話から……。

記事その9

記事を書き始めて何時間経っているのやらわかりませんが……。

>でも、歴史には、そこにリアルな生き死にがあるのですよね。当たり前ですが。

>幕末は、現代の感性から見てもカッコイイ人が多いので、同年代や、私よりも若い世代で好きな人も多いと思います。

>でも、出来たらそこで終わらないで欲しい。

>新選組が好きで長州を悪くいう人、とか志士が好きで幕府側を悪くいう人とかとても多いのですが、違うと思うのです。
>彼らはキャラクターではなくて、一人一人が人間なのです。

>好悪の別は、当然あるでしょう。
>ただ、それだけでいいのかな、と思ってみるのは無駄ではないと思うのです。

>歴史に対して私達に出来ることは、きっと知ることと考えることだけ。
>小さいけど、大切なことだと思います。

「歴史」と「生き死に」。

かさだが探ってきたテーマです。
(ブログに書いたことはあんまりない?)

やっぱりまともに書くと朝になってしまうので大分はしょりますが

歴史っていうのは、人間の活動の積み重ね、とされます。いや、おそらくそういう認識が一般的かな、と思います、という程度にしておきます。

で、現代は2000年前後なので、1900年以前に生きていた人間の大半は死んでいることと思います。(お元気な方はまだいらっしゃったような。)

でも、生きていたわけですよ。
いや、客観的な事実じゃなくて、主観的に考えてください。というのは、つまり、あなたがずっと昔にタイムスリップしちゃった、と考えるとわかりやすいですかね?

意思を持って。
自らの身体は唯一で。
ってことです。

仔細を語るのは無粋かな。

たとえば西郷隆盛にしろ、村人Aにしろ、いたわけです。

どうかな。

……うーん。
かさだが何を問題としているのか、あるいは何を言おうとしているのか、もしかしたらわかりにくいかもしれない。ごめんね。

それで、死んだんですよ。
西郷隆盛は。村人Aは。

死んだんです。
それが歴史の年表に書かれていようが、
書かれていまいが、
死者数4万人の1人だろうが、
死んだんです。

客観的な事実の話じゃなくて。
死んだ。

だから、作品に登場するキャラクターがほいほいと死ぬのは、あまり好きじゃないんだけど……。だって、その形象は、ほんとうは、ものすっごく大きいはずだから。でも、まるで、作品を見るのは歴史を見るときに似ていて、死ぬことの形象はまるっきり登場しないんです……。

……難しいな。
知ることも、語ることも。

記事その10

うえーんもう眠いよう
寝たらテスト勉強が……

>プラネタリウムでライブとかしてみたい!
>プラネタリウム公演とかしてる劇団さんもいるので、可能だと思うの!

なんだって!?
すごい興味あるぞ!!

ただでさえ興味あるもので
触れられなかったものの取り合わせといったら
脳みそ破裂してしまうかもしれない……!

2万席予約した!!



-----

えと、以上で終わりです。
長文お付き合いありがとうございました。

まぁ頑張って読んじゃった人はそうそういないと思いますがね……。

テスト勉強の時間を潰してもいいくらい、有意義な時間だったと思います。

ああ、テスト勉強というのはですね。
この記事書いたのは火曜深夜=明日英語のテストなんです。
投稿日時違ってますけど。

徹夜でいくしかないのかな……。
適当にヤマ張って寝ようかな(笑)

↓たまにはよろしく頼みますよ(・ヮ・`)

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かさだんご┃創作関係 + 2009 / 07/14 [07:14]

- 常識乖離 -
今回の記事は創作関係ということで、そういうお話なんですが、あまりにも「常軌を逸している」ので、「自分は常識的な人間である」と思っている人は読まない方がいいかもしれません。

恐らく意味が分からないだろうと思います。
意味が分かってしまうとそれはそれで錯乱すると思います。

……って書くと、少しだけでも読んでみるか、って気になるでしょう。
不思議だよね、人間って。

さて。

最近、空が青いことを不思議に思うようになりました。と言っても、懐疑主義、というものではないと思います。空が青いことは認めます。たしかに空は青いです。だけど、それは「なんとなく」の領域で不自然な事実なんです。そして、そう思うこともまた、不自然。

空は青い。

「そこにあるそれが全て」というかさだんごの個人的なポリシーを用いれば、確かに空は青い。だけどあるとき、確かに違和感を抱いた。「そこにあるそれが全て」だというならば、抱いた違和感も「そこにあった」のだから、何かしらの心的作用から違和感を抱いたことは間違いない。

実はこの症状は、「空が青い」という事実だけに当てはまらない。他のなにごともすべて、同じように感じてしまうようになったんです。つまり、具体的に「空が青い」という話について書いたけれど、実は「空が青い」こと自体は事実関係が自明な扱い易い素材というだけで、それについて議論することは大して意義のあることじゃないんです。

この「違和感」。
そして懐疑主義とも違う、常識的な事象に対して「それが確かにそうである」と認めつつ、違和感を抱いてしまうこの心的現象。

これは一体何なのか?

「たしかにそうだ」と認めちゃっているのが厄介なんだよなぁ。
それがなければ何を疑っているのか考えればいいだけなんだけど、この場合、「何も疑っていない」のにも関わらず「違和感」がある。

それは何なんだろうと思って……

これは直接的な結論ではないのだけれど、少し思い当たることが無い訳ではない。

「絶対的な意識」の存在。
哲学的には自立的だか自律的だか言った方が正しいんだっけかなぁ。詳しくないからよくわからないけど。

いかなる前提の存在も必要としない意識。

われわれ人間は、(少なくとも現段階では)決してその身体から外に出ることはできない。脳が「死」んだらそれでオシマイですよね。科学じゃそう考えられてる。

宗教では、魂というものの存在があるかもしれない。かさだ自身は信じてないわけでも信じてるわけでもない。だけど、この魂というやつだって、「存在」してしまっているんだ。

死んだら神の御許に行くのか、あの世に行くのか知らないけどさ。少なくとも、意識はそいつに寄っているわけだから、魂の行かないところに意識は行けない。

でも、そういう存在に寄らない意識が存在するとしたら。
「意識」が「意識そのもの」で存在している。

まぁ常識的に考えてそんな存在があるはずがない。何も無いところに意識があるなんて意味不明了解不能の極みだからね。

でも、人間は…………

そんな存在を、《仮構》することができる。
(もしかしたら背理法で非存在証明されちゃうかもしれないけど。)

物理的にそんなわけはないにしても、
唯心論的にいえばアリなわけだよね。
(仮構したからね。)

その瞬間、その意識という存在はこの世界に生まれ落ちた。
そしてまた、かさだの背後に付きまとうことになった。

世界でかさだしか仮構していないわけだからね。
かさだが居なければ全くどこにも存在しなくなる。

まぁ、この際、現実にそこにそんな意識という存在があるかどうかという点については置いておこう。何度も言うけどこれは仮構であって、本当にあるかどうか科学的に検討してしまったら非常に疑わしいものになる(柔らかくいったけど、強く言えば、間違いなくアッサリ否定される)。置いておけない、という人は、かさだがそこにそういう意識という存在を想像して、あたかもいるように感じている、と考えてくれればいい。

もし複数の人間がこの意識を感じるようになったら、彼らの所属するコミュニティーあるいは意識空間では、その意識とやらはかなりの存在感を持つことだろう。

まぁ、一人で考えている分には、あまり存在感がないだろうね。

だけど、残念ながら……

「かさだんご」は「一人」じゃない。

ここが最も重要な点だ。

かさだにはもともと思考を反復そして増幅させる癖があるけど、それに加え、かさだの中にはまるでかさだそっくりな人間が「何人も」いる。あるいは前者は後者の言い換えでしかないかもしれないにしろ。

彼が意識を持っている半分くらいの時間は、彼らは表層している。現在かさだの行っている思考や行動を諌めたり、励ましたり、ときに口論になる。

そして彼らは、かの「意識」の存在を主張したり反論したりを繰り返しながら……その存在感ばかりが増幅していく、というわけだ。つまり「かさだんご」という身体の中に封じられたコミュニティー――意識空間では、存在の主張も非存在の主張もあれど、その輪郭がひょっとすると見えた気がしてしまうほどに、存在の定義が頭の隅のほうで知覚されるくらいには、その「意識」について考えられているというわけだ。

その、絶対的意識。

そいつの「目」――なんてものは存在しないけれど、その「意識」にとっては、この世界はどのように見えているんだろうか?

そのことを気にしているんじゃないかって。
思うんだ。

何にもよらない「意識」。
判断基準の皆無な中で、完全たる「客観的判断(知覚)」を行う存在。

「意識」は知っているのだろうか。
この世界の本質を。
あるいはそのような存在では、むしろ知ることができないのか。
あるいは永遠に矛盾し続けるのか。

かさだは知りたい。



…………そして、ここに、最も重要な事実がある。

これこそが、コトの本質をついているかもしれないのだけれど。


上記の文章は、かさだの創造あるいは想像を文章にしたものだ、ということ。

それを聞いて、どう思うかって……
わからないけど。

でも、何度も言ってるだろう?

その「意識」は仮構された存在。

かさだが今更この事実を明かしたところで、この文章が根底からバカげたバカ話だったなんてことにはならないよ。

ひとつ、道化師に騙されたような気持ちで……
ひとつ、世界の真理に迫ったような気分で……

どうか、この文章を読み終えてくれると嬉しい。

読者の皆さんは踊らされたんじゃない。
踊ったのは、あくまでも、かさだ、ただ一人。

↓以下略

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かさだんご┃創作関係 + 2009 / 07/06 [02:32]

- 創作について思うこと -
おはこんばん。かさだんごです。
久々に気合の入った記事だこと。
気の抜けた日記は一個前の記事です。(後半気合入り過ぎで分けたという。)

そういえばアニメが夏クールに入りますね。

夏クールて矛盾だよね。クール。

GAに期待。
GAはおもすれー。

現代魔法も期待。
嘉穂たん萌え。

あとはどーでもいーや(爆

アスラクライン2期がはやく見たいな。
なんだかんだで面白かったし。

かなめもって面白いのかね。
漫画二巻まで持ってるが……(読めばわかる!)


オリジナルのアニメってあんまりないけど
たとえばエル・カザドとかソルティレイは個人的に大好きなので
もっとやってほしいなぁと思う、、
商業的にくそまずいのはわかるけどさ。。

商業的にくそまずいとわかっていても
趣味としてやれる小説やノベルゲーム制作と違って、
アニメって個人でも集団でも趣味の範囲でできることじゃないから、どうしても制作会社に頼るしかない。

決してアニメが「アニメらしさ」を追及する必要はないと思うけど、アニメと小説・漫画・ノベゲとの違いを自覚していてくれてもいいと思うんだ

動くからアニメ と言うつもりはないけど
特に小説なんかは、視覚的には一瞬で理解できる「黒服の男の手から閃光がほとばしり、それがみるみるうちにひとつの形状を為し、そして剣となった。その剣は翡翠と真紅に装飾された刀身を持ち、切っ先からまばゆい光を放っている。」という表現を悪く言えば冗長にやらないといけないわけだ。(逆に言えば現実・二次映像ともにあり得ないような中二的状態・あるいは過剰な装飾、曖昧な表現などが可能になる)

原作に漫画やラノベ・ノベゲがあるのは、いい足がかりになるのかもしれないけど、そういう意味ではそれぞれの個性が前提にされた場所からアニメを引き出すことになるのだから、どこかに機能不全を起こすところがあってもおかしくないわけだ。

ところがじゃあオリジナルアニメはどう作るんだよっていったら脚本なりがあるんだから、つまり小説から起こしてるようなもんじゃないか、ってね。

でもそれはあくまで「アニメ化前提」で作られた脚本なんだから、ただの小説とは違うわけだ。ただの小説は仮に読者の脳内でのビジュアル化を前提としていたとしても、それは≠アニメ化前提。アニメはあくまで読者の脳内でのビジュアルではなく読者が受容するビジュアルなのだ。

……ええと、何の話をしているんだっけ……

ああ、オリジナルのアニメ作ってくれよって話でしたね

まぁ大変なことはわかってるけどさ
やってほしいなぁと思うわけ

アニメ作品を見たいんだよね
メディアミックスの一員てわけじゃなくて。

もちろんこの漫画がアニメしたら嬉しいなぁとかはあるけど
それとこれとは話が別でして。

好きなことを仕事にするったってさ
誰かが描いた作品を、いかに忠実に、あるいはそうでなくともアニメ化するなんてただの「作業」じゃない
と、かさだはたまに思う

もちろんこの作品いいなと思ってさ
自分がそのアニメ化にかかわれたら楽しいなぁということもあるけど
いつもそうというわけじゃないでしょう。

まぁかさだは自分で作りたいと思っているからそんなことを考えるのかもしれない。人の作品に絵を宛がうのがやりたいんです、っていう人はいるだろうしね。かさだも何かにインスピレーションを受けて二次創作したくなることもあるから、たとえばそんな感じなのかもしれない。

かさだは自分で作りたいから、だれにも頼らない、小説というものをやってきた。(それしか選択肢がなかったのは事実だが。)
少なくとも書くだけなら自分一人でできるし、自分の考えたものを実現できる(可能性がある、というだけなんだけどね。最終的に納得のいくものになるかどうかは別問題)。

だからあんなにアニメがいっぱいあって、
それなのにオリジナル作品なんてそうそうなくって、
彼らの世界には、自分の作品を作りたい!って人がいなくなっちゃったのかな
とたまに思う。
それが冒頭の商業的な理由によるものだとしても、さ。

かさだにはいっぱい実現したい世界――すくなくとも形象がある。それには小説ではとうてい実現できないだろうな、っていうものもいっぱい含まれてる。もしも、アニメーターがそれをやろうとしないなら……それは、その形象は、三次元空間上にも二次元平面上にも一次元文字列上にも存在できないじゃないか。どの現実にも無く、誰も漫画化しようとせず、誰も文章に起こそうとしなければ、アニメに現れることもまた、ない。

アニメでしか実現できない事象は、
アニメがアニメであるがゆえに、
(商業的/労力的な性質がゆえに、)
アニメでは実現できない。

こんな帰結があっていいんだろうか。
許していいんだろうか。

創作家としてはガッカリだよね。


そういう流れからtrue tearsにはちょっと興味があります。
(ノエインは前々からなのであえて言及はしない。)

先にゲーム版の存在を知っていたので、なんでタイトル同じで内容違うんだばかやろうと思っていたものですが、時間が心を融かしてくれたのか、今なら受容することができる。
(それにゲームやってないしね!!)

というわけで見ようかなぁと思っている次第。

(今思ったがtrue tearsもノエインもOPが歌riyaという流石信者)

監督のtrue tears当時のインタビュー記事を読んだことも、見ようかな、と思った一因。心情をどう表現するかうんぬんを言っていたような気がしましたが……。

それについても思うところはある。
心情の表現。
あるいは知覚できないけど存在しているものの表現。
これはちゃんと考えなくちゃいけないことだと思う。

心情表現について、もっともリアルと乖離しているのは小説。登場人物の心情を直接書いてしまうこともできるから。もっとも、あからさまにそれをやる小説はつまらないのが通説だけどね。

リアルに近いのは漫画やアニメ。
登場人物が直接感情を喋ることは無いから。
それでもこの二つは、主人公の視線がない場所での登場人物の姿を視聴者や読者は知ることができてしまうから、かなりチート気味。
気の強い女の子が風呂でため息ついてるシーンの一つでも挿入すれば完全に意味はとれるっちゅうねん、という感じで。

いずれにしても。
キャラクターに心情は存在する。
だけど、そのときその瞬間の心情が、連続的にグラフに描かれるかというとそうではない。
それが共通項。

リアルなら、少なくとも表情を見れば、表面的な感情はつねに知ることができる。(裏で腹黒いことを考えている可能性もあるにしろ。)
だけど、キャラクターはそうじゃない。
特定の切り刻まれた瞬間の表情しか映らない。
特に知られるべき感情は強調されることもあるしね。

だから、リアルの心情とキャラクターの心情は似て非なる物なんだよ。
リアルの心情は理不尽の塊。
キャラクターの心情は組み立てられるパズル。
絶対に同じじゃない。

どういうことかというと……。
リアルでこの人はこのタイミングでこんなことを考えてるな、というのをそのまま作品に落とし込んでも、よく伝わらない、あるいは表現とは呼べない――てこと。連続的な心情の一断面を切って書いたってダメってこと。

「彼は笑っている。」

単純なひとつの事実だね。
現在進行形だから、たった「今」行われていること。
「今」という一断面の情報。

現実なら、どういう状況で「今」「彼が笑っている」のか、知ることができる。仔細に。機微まで。

たとえばさっきまで泣いていたとしよう。

「さっきまで泣いていた」+「今は笑っている」

たしかにどういう状況かはわかるね。

だけど、この二つの事象の間に何があったのだろうか?
いや、もっと正確に言うならば――

この二つの事象は、彼の心情の断面を二つ切り取ったものにすぎない、ということ。
必ずしもそうである必要はないけど、たとえば、この二つだけでは、「彼の心情を連続的に復元」したりできない。
泣きやみ、笑うまでにどれくらい間があった?
どんな細かい表情の変化をした?
そこに「彼の心情を読みとるための要素」がある。
そしてそれは二つの事象の間を埋めるものだ。

……それでも。
それが分かったとて、充分じゃあないんだ。
たとえばさっきの間に彼の脳内に「今日の夕飯はコロッケ出ないかな」というものがよぎっていたかもしれない。そんな「理不尽な」考えがどこからともなく沸いてきたかもしれない。だけどそれは、決して読みとることができない。直接描かれていない限りは。

だけど描かれる必要があるか、といわれれば、必ずしもそうじゃない。そんなことが無くたって作品は成立する。むしろそれが無い方がスッキリと、ね。

だから作品はストラクチュア。リアルは理不尽。


少なくとも、小説は、そうだ。
ノベルゲームだって、あまり細かい表情の機微の差分なんて用意していないだろう。
それに対して用意するテキストだってものすごい労力がいるから、普通はやらない。

……だけど、アニメは?

ほとんどリアルタイムで進行するそれは、しかも、機微も表現できる。
楽しげに笑う登場人物たちの中に、一人だけ寂しげに笑う人が混じっているかもしれない。

時間的にリアルタイムに進行できる、もっともリアルに近い存在。
そのアニメは。
アニメ特有の心情表現を持ってもおかしくない。

アニメでの心情だって、全体で見ればパズルだけど。
細かい、少なくとも視聴者が見ているその瞬間瞬間では――必ずしも、そうじゃない。

かさだはそれを、アニメらしい、と思った。

(正確にはそれも。中二的表現を動画でできるのもまたアニメらしさ、だからね)

アニメには感情の機微までも表現する余地があるのに。
お決まりの展開で、お決まりの流れで、お決まりのオチで。
みんながみんな、「同じ表情をする」。
そんなアニメはもう見飽きた……(まだ見るけど)。

全てを兼ね備えているからこそ、常に全てを使うこともないと思う。
奇麗なグラフィック、キャラクターの喋り声、邪魔しないBGM……

「どこに行こうかなぁ」と言いながら、旅行雑誌のページをめくる必要はないんだ。ベッドに寝っ転がりながらページをめくる、そういう描写だけでいい。喋らさなくていい。黙ってていい。そのかわり、精いっぱいのグラフィックで。表情の変化で。

「○○さんって無口だけど、友達になりたいなぁ、どうしたらいいかなぁ」なんて喋らなくていいんだよね。遠くから見ながら寂しげにため息をつくだけでいい。

そういうアニメが見たいなぁ。

文章が表示されないかわりに、セリフにするしかない。
それは文字のままならね。
だけど、それを映像特有の表現に変換することだってできるわけだ。

そういうアニメなら、原作ありでも見たい。
原作なしだって、そういうアニメが見たい。
そういうアニメなら、作ってみたい。

小説でもそういう試みは面白いかもしれないなぁ。
小説も似た気配はある。
視覚情報が一切ない分、逆に文字列をうまく扱えれば、上の方で述べたような、現実を超える表現すら可能なわけだ。

そこはまぁ、超えないでおいて、
いかに文字列で情景描写に徹するか。
いちいち喋らせないようにするか。
いちいち主人公に考えさせないようにするか。

そういえば、君だけしか知らない世界、「キミセカ」とか言うので一年前だかに「セリフのない小説」を募集していたことがあったけど……。
「コンビニでの一幕をセリフ無しで表現」というものだった。
なんて難しいのだろう。
でも、やりがいがありそうな……
それは、表現の本質にかかわることだから。


これはネタだけど、第一話は誰も喋りませんでした、なんてアニメがあったらすっごい見たいなぁ……!

将来の自分用のメモだというときもあるけど
ある程度の認知度は欲しいので始めてみた。↓

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